劣等感は生きがい?

2017年5月24日
とある人のブログ記事から、インスピレーションを受けて、勝手に自分のことを書く。

自分の頑張りの最盛期は、小学4年生ぐらいから、中学3年まで。
あとは、もぬけの殻、余生。
しかし、余生が活きたのは、その頑張りがあってこそ。
頑張りの後に、しばらく暗黒時代が、高校の3年間続いたが、それまでの暗さに比べると、自嘲する余裕はあった。

その後の余生は、足のない明るい幽霊みたいで、けっこう楽しく暮らした。
時代背景が、良かった(とらえようによっては、悪かった?)
わたしのような者にも、受け皿があった。
今なら、すっぽり、「発達障害」の枠に収まる。
どうにか、単なる劣等生というだけで済んで、やれやれである。
昔は周りも大らかだったのか、変わった子はいっぱいいて、ひとりひとりにかまっていては、時間も労力も足りなかったのだろう。

今の子どもは、かわいそうだ。
窮屈そう。

ま、優秀でもなんでもない、凡人(以下?)のわたしは、なにかの間違いで(親の策略で。「教育方針」ともいう)、やたら優秀な人間がウヨウヨいる教育現場に放置、置

き去りにされた。
落ちこぼれようが、いじめられようが、先生に叱られようが、家庭でのフォローは、一切なし。
救いの手など、なにもない。
崖から突き落とされ谷底へ。

たまたま、その学校が近所にあったから、という子供も放り込まれ、わたしと同じような、苦汁を舐めている。
彼らは、卒業後、一度も同窓会に顔を出さず、その後の行方も本人が全く知らせてこないので、同級生たちは、皆んな消息を知らない。

わたしを含め、彼らも、醜いアヒルの子。といっても、「白鳥の子がアヒルに囲まれ、一羽だけ周りのアヒルと外見が違うため、醜いアヒルの子と言われ悲しい思いをした

、実は美しい白鳥」の反対で、「白鳥たちに囲まれた、正味、醜いアヒルの子」だった。

わたしの劣等意識は、このようにして、多感な時代に培われた。
本来、花よ蝶よと、いろはカルタや塗り絵、蹴鞠をして遊んでいればそれでよかったのに、否応なく劣等感まみれになる、複雑な環境で学生時代を過ごした。

その、白鳥たちの園を無事、卒業というかたちで脱出し、当時の受け皿に、どうにか軟着陸した。
今の世の中では、その受け皿はない。
(と、わたしの意識の中ではそう思っている。が、まだ、旧い価値観を堂々と主張して止まない人もいる)

(受け皿って、なんやねん?
はっきり書かないと、わからないではないか。
という流れでしょうが、あえて書く気なし。
自分のブログって、いいなあ。なんでもアリだから。
これで閲覧数が減っても自己責任であります。)

しかし、この、明記、名言しない「受け皿」のおかげで、一時は身の置き所を確保したように思えたが、その日から、新たな、わたしの「受け皿」に対する苦悩が始まった



なんでも、ちゃんと解決してマイナスをゼロにリセットしてから次に進まなければ、マイナスを根本解決せず、その場しのぎ的に、うやむやに誤魔化して体裁だけ整えて次

に進むと、ろくなことがない。
やがて、持ち越したマイナスと対峙しなければならない時がやって来る。
自分自身の負の遺産のようなものだ。

受け皿は、根本的な受け皿ではなく、一時的、セーフティネット、駆け込み寺みたいなもので、羽を休め力をチャージし、やがて自分で自立するまでの補助機関のような役

割を持つ。
(抽象的で、わかりにくくて、すみません、です。)
が、クリアできずに先送りしていることに対して、一時的には力を貸してくれても、最終的には自分でどうしかしないとダメってことだ。

余生なのに、未解決案件を抱えている。
そうすると、今は余生ではないのかも。
余生を送るまでには、解決せよ、という命題を持ち続けている。
なので、実質的には、一向に余生に移行できない。

解決できない問題を抱えることは、じつは、生きがいだったりするのか。
生きがいって、プラスのことばかりではないようだ。
マイナスをゼロにしなければ、あの世に行けない。
厄介なことだ。
逆に、問題を抱えて闘い続けているかぎり、マイナスではあるものの、生きがいがあるということか。
マイナスは要らないから、プラスだけの生きがいが、いいと思うが、そうはうまくはいかないのが人生のようだ。

マイナスはマイナス要因として、そっと静かに温存し、別の分野のプラスを増やして、プラスマイナスした総合点で、プラスになればそれでよし、かなと。
乗り越えたり、克服したりしようと、無理やり頑張って、弱点をほじくり出してもつまらないかな、と。

またまたファジー、うやむや、靄にかかった、先送りである。

無知は最強である

2017年5月11日
水は高いところから低いところに流れる。

今のわたしは、一方的な流れは快適でないと感じている。
相互間の協働で、向上を目指したいAmway呃人。

これは、「わたしが成長した」と、わたしは捉えている。
弱者向けの一時避難シェルターから、一歩、出て、自立の道を歩き始めたのではないだろうか。

この目覚め。そうとう遅い。
還暦になってからの自立。
成人を迎えるまでか、遅くとも30歳までには自立すべきと思う。
40年ぐらい、遅い。
しかも、老化を自覚し、もう、じわじわ自立できなくなってくる年齢を迎えた時期に、今ごろ、自立なんて、またなんと、間が抜けていること。
自動車専用道路の逆走である。


自立心は、切羽詰らないと生まれてこないと感じるPanasonic冷氣。
(小さな子供でも、頼れる親や保護者がいないと、精神的に自立すると仮定してみたが、幼くまだ未熟なため、精神的な歪みが生じる可能性がある)
切羽詰ったことがない人は、一生、お湯の中で、自立を自覚しない。
それはそれで安泰、幸せな人生である。
不要不急なら、あえて、選択肢があるにもかかわらず好き好んでイバラの道を選ぶのは、おススメしない。
気がつかないままの一生は、幸せである。

気づきは、日常生活をぼんやり送っている中には、得られない。
なにかしら、ものごとや、出来ごと、悩みなどに直面しなければ、深く考えることはない。
映画や小説で疑似体験して、自分も一緒に考えることはあっても、実践を伴わないシュミレーションでは、所詮、お遊びである。

映画を観た後、日常に戻り、自分の置かれている現状を再認識し、あんな怖い目や、辛い目に遭わなくて、ああ良かった、と、安心や喜びを得るHitachi冷氣。
いい匂いがすると、空腹でもないのに食欲を刺激されたり、購買欲が湧き上がったり、潜在的欲求を喚起させられるかのごとく。
自分から自発的に欲するのではないのに、眠っている意識や欲求を人工的に誘引、引き起こされる。
そうやって、意図的に非日常感を力ずくで感じさせられて、なにかの起爆剤にでもなれば良いが、策略的な仕掛けには、人を利用しようという意図が見え隠れし、大抵は金

儲けのためだったり、政治目論見だったり、人為的なうさんくささを感じる。
自分の目や耳を研ぎ澄まして深く考えたところで、身に迫るものが現実ではなく仮想であれば、いくら五感を駆使しようにも、リアリティがない。
(しかし、ひょうたんからコマなんてことも、あるようだが)

つまり、実際に自分の身に降りかからなければ、一生懸命考えたり、取り組んだりしない。
(中には、身を粉にして「人のため」に、行う人もいるだろうけれど)


では、
不幸を知らない幸せな人は、宗教家にも、教師にもなれないのか?
という話は、また別。
書きはじめると、とんでもなくめんどくさい。なのでパス。


人生において、徹底的に自分と向き合う時期が、何度かあるはず。
それを分岐点というのだろうか。
自分の力でどうにもならないことに、ぶち当たった時、どうするか?
ありとあらゆる方法を考え、試み、乗り越えようと努力するだろう。
それでも思うようにいかない場合、それはそれでいいのではないか。
それも含めて、その人の人生。その人の力。その人の運。

知恵と勘と努力。
三つ揃えセット。これがあれば、最強。

さて、
脆弱な土壌の上に立つ、弱々しい「わたし」。
強力なものは、なにも無いので、きっと偶発的アクシデントには人一倍、うろたえることだろう。
しかしながら、書くこと(考えること)と、実際に行うこと(実践)は、少しでも距離が縮まってほしいものだ。

だが、無知は強力。破壊的パワーがある。
厚顔無恥との三つ揃えで、乗り越えられそうだが、へんに知恵がついては、かえってパワーダウンする。
知恵をつけろと言ったり、つけるな、と言ったり。
どっちやねん!
しかし知恵は、味方になるはず。


・・・いっこうに結論にたどり着かない。
長いばかりで、眠くなってきた。
矛盾だらけの、道、途中のわたしである。

なにごとも表裏一体。
答えは、有るようで無い。無いようで、有る。
 田中美知太郎のやうな哲学者が果たして今ゐるのだらうか。それはどういふ意味かといふと、哲学が学問としてあるのではなく(つまりは現在を生きてゐる人間として)、日本人として(つまりはどこの国のどこの時代にも通じるやうな無国籍な発言をする人ではなく)、時代の流行思想とは何の関係もないところで(つまり思想の輸入業者としてではなく)、発してゐる人といふ意味である眼袋。

 哲学の研究者はゐなければならないし、どこの国の研究者とも疎通できる普遍的人間像を追究する必要もあるし、最先端の研究成果を日本に紹介する役割を担ふ哲学研究者はゐてもいい。しかし、さういふ人だけであることに一般の読者としては不満がある。もちろん、田中美知太郎が世界の哲学者に伍してゐないといふことを言つてゐるのでない。

 私の田中美知太郎評など何の意味もないのであるから、言ひたい放題であるが、とにかく碩学である。言葉に重みがあると言つては月並みだらうが、正確な語学力に導かれたプラトン研究と、それを通じた現代社会評に信を寄せてゐるのである。私は、論理は嘘をつくと思つてゐる人間だから、その人の論理の出発点が信頼するに足るか足りないかでその人の論理を信じるか信じないかを決めてゐる。その点で、田中美知太郎は信なのである。何を偉さうにと自分でも思ふが、生意気な私には今もまだかういふ表現しか浮かばない謝偉業醫生。

 『ソクラテスの弁明』が読みたくなつた。高校時代の夏休みに読んだ。たぶん。新潮文庫だつたと記憶する。しかし、まつたく覚えてゐない。それで1997年に読み直した。なぜ分かるかといふと、大阪の自宅の書棚から、そのとき読んだ中央公論の『世界の名著』に日付があつたからだ。そして、今回読んだ。新潮文庫版である。そのタイトルは『ソークラテースの弁明』である。中央公論も、新潮文庫も田中美知太郎である。岩波にも、光文社にも入つてゐるが、なぜか田中美知太郎でしか読む気がしない。といふのは嘘で、今回新潮文庫で読み終はるまで、『世界の名著』のことはすつかり忘れてゐた。読んだことすら忘れてゐた。本を開き、メモまでしてあるのにである。お恥づかしいかぎり。記憶がここまでなくなるのは痛快ですらある

 その結果、三回とも田中美知太郎で読んだといふことになる。そこで、冒頭のやうな後付けが出てきたのかもしれない。いい気なものである。田中美知太郎の贔屓の引き倒しになつてしまふ。

 でも、私の田中美知太郎評など何の意味もないのであるから、言ひたい放題である。とにかく碩学である。

 本書から引く。今回は何も感じなかつたが、前回読んだ時には、線が引かれてゐた。

「よき人には、生きているときも、死んでからも、悪しきことは一つもないので
のこととして、心にとめておいてもらわなければなりま恒指牛熊證

 この「よき人」になるべく生きたいと思ふ。田中美知太郎は、その「よく生きたいとして生きた人」であると私は考へてゐる。
 トランプ旋風 元気に吹き荒れているようですね。
 ハリウッド映画みたいにゴージャスな展開です居二按揭。

 それはさておき、
 先日、テレビで米国の不法移民に同情するトーンのレポートを見ましたが、
 不法ですからねえ。良いんでしょうか。

 日本も他人事ではないみたいですよ。

 日本に入国して、行方不明になる外国人が増えてきているようです。
 行方不明になった後、日本のどこかで暮らしているんでしょう。
 そういう人たちを支援するコミュニティみたいなものもあるみたいです。
 近年どーんと増えたという噂も聞きました業主貸款。

 素性の分かる難民を受け入れるのも大変なのに、
 正体の分からない人たちが不法に滞在しているのって不安です。
 正体不明ですからフォローも出来ません。
 そんな義理も無いんですが、好き勝手にされるのはもっと困ります。
 日本語の勉強はできているんでしょうか。
 ゴミの分別は大丈夫でしょうか。
 津波、地震、暴風雨、台風
 などの警戒警報や避難警報は分かるんでしょうか。
 暮らしに支障が出たら、やけになって暴れたりしないでしょうか。
 税金も払ってないんでしょうしね。
 健康保険にも年金にも入っているとは思えないし。

 大震災の時、みんなで助け合って、打ち壊しや強奪が起きなかった日本ですが、
 そういう人たちがどんどん増えれば、どうなるのか心配です居屋貸款。

 アメリカ合衆国は移民の国。元から大変そうです。

金木犀のかほり

2016年9月28日
さわやかな風の中に、金木犀の香りが届くと秋を感じ、なんだか嬉しい季節の到来と心ワクワクした青春時代でした。

昔は秋が好きでした。

本日、金木犀の香りが初出荷で私の鼻に届きました。が、むわ~~~~っとした熱い空気の中での初対面は嬉しいような、悲しいようなNeo skin lab 電話。

あきらかに季節感が私の生きてきた短い人生の中で変わってきています。
春から夏への「合服」が不要になり、いきなりほとんど「夏」

夏から秋へは、爽やかな空気と青空を喜ぶことが少なく、秋雨で湿気が多いときが増えているように思います。
まあ、そういう楽しくない天気が多いと、たまに来る、スカッとした抜けるような青空やツンとした空気の清澄さが、より新鮮に感じるのかもしれませんけどね。

食欲の秋、芸術の秋、読書の秋とか言いますし(なぜか食欲を一番に書いてしまいましたけど)、野原には草の中に小さな花々も咲いて安野光雅の絵本「野の花と小人たち」の世界を彷彿とさせてくれ、ちょっとだけ嬉しくはなりますが、私は湿気が大嫌いNeo skin lab 騙。

なので、ここ数年秋を心から楽しむことができないでいます。

人生61年で、そろそろ飽きがきたり、慣れがきたり、いろんなことに新鮮味を感じることができにくくなってきたのかもしれません。
若いときは大好きだった秋ですが、最近はあまり好きではないかもと思う今日このごろです。

ではまた
読んでいただいてありがとうございましたNeo skin lab 代理人。

指先がぼろぼろの訳

2016年9月22日
台風は県西部でも避難勧告が出る状態だったが、この辺りはそれほど風もなく、雨も一時期良く降ったが、問題ない程度だった。
 くりりんは川が増水しているのでお休み。キヨちゃんを任せて出勤。とりあえず、デスクワークをすることに海外 報奨旅行。
 この天気なので、どこのデイもお休み。ヘルパーはほぼ中止なく訪問したようだった。キヨちゃんの所へも、理学療法士さんが時間通りに来たらしい。ただ、病院や診療所は休診のようだった。
 台風が過ぎてから、この感じならまずどこも心配はないと思われたが、一応独居と高齢者二人暮らしの家には電話してみた。1軒を除いて全員連絡が付いた。連絡が付かない1軒が心配ではあるが、この方、まず99%電話に出ない人なので、毎回こう言う時近所の人が心配する。人付き合いをしないと言うのも考えものである海外 買い物。
 仕事は定時に終えて家に戻る。明日私が休みなので、キヨちゃんをデイに送り出してから、台風の後始末はするから、雨の中何かしようとしないでよ~と言って出てきたが、くりりんにも心配なので伝えていた。
 案の定、小雨になったら側溝に溜まった枯葉を箒の柄で突いて水を通したらしい。それで、くりりんが残りの枯葉を掃除したんだそうだ。やれやれ???。まあ、想定内。
 夜、親戚筋の人からもらったクルミと格闘した。クルミは大好きなのだが、食べるまでが大変だ。まず、割るのが大変だし、実を取りだすのも大変。
 割れ目を入れてから、少し空煎りして熱い内に取りだすと幾分しやすいが、それでもなかなかだ。蒸した方がいいのかな?レンジかな?とか考えるが、どなたかいい方法を知らないだろうか。3時間以上格闘したが、どれほども出来ず香港 食事。(割るのは半分くらいくりりんがしてくれたけど???)

お天道様の味覚

2016年9月9日
天高く馬肥ゆる秋??恵みの秋である。今年は季節に早い台風の上陸で施策に苦しまれた生産者農家も少なくないだろう。ところで近頃食卓に並ぶ味覚??食感が以前とは違うと思う人はいないだろうか? 近年食材の加工法は昔とは全く違ってきたのであるHalloween派對。


稲作を例に取ると、米農家では様々な工夫を凝らし伝統農法を固守してきた歴史がある。嘗て収穫したあとの稲田では「小田架け」と呼ばれる天日干しが行なわれて来た。しかし生産効率を促された農家は手作業だった仕上げを機械化に移行させられご承知のとおり田植え機やコンバインが導入されるようになったのである。


米の売価が下がって採算が取れないと嘆く声が各処から聴こえるようになり廃業を余儀なくされた農家も少なくない。次世代を担う若者たち(倅や孫)は機械の購入や保全費用の高騰について行けず、田圃に見切りを付けざるを得なかったのが事実である萬聖節活動。「自分達が食う米くらいは??」
と頑張った高齢者の田圃には雑草が茂り月夜には猪が運動場に使っていると聞く。


では海はどうだろう??アクアライン(東京湾横断道路)の建設で魚介類の生息環境は変わってしまった。初網(新海苔)の季節??一番海苔が味わえる季節だが新海苔の風味は何処にも無い。昔ながらの手作り製法が消えてしまって、陸の米作りと同様、全てが機械化されたのである。元
来浅草海苔と呼べるのは内房(東京湾内)で採れる海苔に限られた呼称であった。


何がどう変わったのだろう???太陽の恵みがカットされ機械加工に委ねられてしまった結果である。現在、海苔の製法はまるで大型の洗濯機を回転させる様で「全自動」になっている。採取して来た生海苔を攪拌機に入れると後は機械が全てを製成してくれる。厚みの調整から乾燥、裁断、束ね??品質や等級の選別までを機械がやってのけ、一帖ずつにセットされた海苔は帯封が為され箱詰めされて出て来る。


業とする海苔屋の数も減少したが誰もが昔ながらの製法を良しとし、残念だと言うが元に戻る瀬は何処にも見当たらない。高齢者の増加で漁村の従事者も日ごとに減ったようだ親子好去處。


     『小田架けのコシヒカリは一味違ったなあ??』


     『天日に干した初網は うめえ~ッたのう??』


新海苔が口に入ると磯の香と独特の風味が鼻の奥を突き抜けるように走った。舌先に乗った海苔はあっと言う間に溶けて、喉を通りざま格別の食感が味わえたものである。新海苔の香は当に季節の所産だった。房総地方では「鉄砲」と呼んでいるが、新米の炊き立てご飯にオカカ(鰹節)を載せ、焙った新海苔で巻き上げると、どんなご馳走より贅沢を感じたものであった。


人生の半分以上を房総半島で暮らす私だが、農業や漁業の仲間たちと時折愚痴にも似た昔話をする時がある。お天道様こそ味覚の使者なのだと教えられる秋の訪れである。
 以前にも記したが、ブリコラージュといふ言葉がある。

 ウィキペディアによれば、かうである。長いので気が引けるが、最初の一文だけで事は足りる蟲草Cs4。

「ブリコラージュ(Bricolage)は、『寄せ集めて自分で作る』『ものを自分で修繕する』こと。『器用仕事』とも訳される。元来はフランス語で、『繕う』『ごまかす』を意味するフランス語の動詞 "bricoler" に由来する。

 ブリコラージュは、理論や設計図に基づいて物を作る『エンジニアリング』とは対照的なもので、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ることである。

 ブリコラージュする職人などの人物を『ブリコルール』(bricoleur)という。ブリコルールは既にある物を寄せ集めて物を作る人であり、創造性と機智が必要とされる。また雑多な物や情報などを集めて組み合わせ、その本来の用途とは違う用途のために使う物や情報を生み出す人である。端切れから日用品を作り出す世界各国の普通の人々から、情報システムを組み立てる技術者、その場にあるものをうまく使ってピンチを脱するフィクションや神話の登場人物まで、ブリコルールとされる人々の幅は広い蟲草Cs4。」

 ヤフーオークションに「太陽の塔」で登録しておくと、新しい品物がアップされるとそのお知らせが届く。それで先日、コックのふち子さんの太陽の塔バージョンの一つを加工して「眼鏡かけ」として売りに出してあるものの案内が届いた。これは面白いと思ひ、昨日作つてみた。

 太陽の塔は、以前から持つてゐたもので、問題はそれを置く台である。お金をかけてはいけないし、それでゐて見栄えが良くなければならない。百円均一の店でまづは探さうと思ひ、夕方の散歩の折に近くの商店街を歩いた。板、コースター、小皿を探して、三軒目で見つけた。赤い皿と青い皿と緑の皿とあつたが、緑は外して赤と青とを買つた。そして、家に戻つて瞬間接着剤で貼りつける。じつにお手軽なブリコラージュである。もちろん、この成果はヤフーオークションに出品した人のおかげである。1000円で売り出されてゐたが、原価は400円。まあ、1000円取つてもいいかもしれない。もちろん、私は売るつもりはありません蟲草Cs4。

 さて、今は湯川豊の『丸谷才一を読む』を讀んでゐるのであすが、文藝評論といふものは、引用と引用、そしてその間をつなげるところに自分のアイディアを示すといふことで成り立つ文学である。となれば、ブルコラージュである。文藝評論に限らないかもしれない。学問といふものはブリコラージュであらうか。まつたく違ふ文脈のものを結び付けて、そこに異化の作用が働いて妙なるものが生み出される。そこにその人の何かが生み出される。上の定義による「エンジニアリング」とはまつたく違ふ仕事が学問にはある。

 かつて、江崎玲於奈氏だつたか、ノーベル賞受賞者の講演会の折に「私たちの仕事は巨人の肩の上に乗つてゐるに過ぎない」と語つてゐたのを思ひ出したが、学問とは何から何まで自分の力で生み出すといふことに「成果」を見るのではない。自然科学をしてかういふ感慨があるのであれば、人文学においてはなほさらさういふことが言へると思ふ。

 先人の成果を引き継ぎながら、そこに藁一本でも載せようと志すことが私たちの歩みの本質であるやうに感じる。中には時代を画するやうな発見?発明?創造をなす人物も出てくるかもしれないが、私たちのほとんどの人が出来うるのは、むしろ藁一本載せるよりも前に、巨人の肩を仰ぎ見ることだらう。

 ブリコラージュで作られた私たちの生活、歴史。とんだところに話は行つてしまつたが、この眼鏡かけとても気に入つてゐる。
 朝、目が覚めたら、汗でびっしょり。暑いのではなく、蒸し蒸しする。

 寝苦しくて睡眠が浅かったのか、眠気が取れない。頑張って、出勤。

 気温は高くないはずだけど、汗が出る。息苦しくて、集中力が続かない生髮水。

 そこに追い打ちを掛けるように、用事が入ってくる。次々と。

 自分が正面から向き合うボリュームがある用事じゃなくて、問い合わせとか、ちょっとした調べ物とか。

 それでも、自分の席に落ち着いていることはできなくて、ちょこtyほこ立ったり戻ったり。一通りの部屋を訪問した頭髮薄。

 人と話をすることが多くて、のどが疲れる。立ったり座ったりはあるけど、運動量とすればわずかなものだし、腰が張って、首筋が凝る。

 途切れてくれれば、自分の仕事ができるのだが、細かい用事を捌くので精一杯だった。

 午後は室温が上がって、さらに蒸し暑くて、消耗が進む。

 夕方になっても片付かず、途切れたところで切り上げて帰り支度をした。

 帰り際に呼び止められたときは、今日はこういう日なのかとあきらめたけど掉髮。5分で片付いたのはラッキーだった。

 月曜日から、バテた、なあ。。。。

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