お天道様の味覚
2016年9月9日天高く馬肥ゆる秋??恵みの秋である。今年は季節に早い台風の上陸で施策に苦しまれた生産者農家も少なくないだろう。ところで近頃食卓に並ぶ味覚??食感が以前とは違うと思う人はいないだろうか? 近年食材の加工法は昔とは全く違ってきたのであるHalloween派對。
稲作を例に取ると、米農家では様々な工夫を凝らし伝統農法を固守してきた歴史がある。嘗て収穫したあとの稲田では「小田架け」と呼ばれる天日干しが行なわれて来た。しかし生産効率を促された農家は手作業だった仕上げを機械化に移行させられご承知のとおり田植え機やコンバインが導入されるようになったのである。
米の売価が下がって採算が取れないと嘆く声が各処から聴こえるようになり廃業を余儀なくされた農家も少なくない。次世代を担う若者たち(倅や孫)は機械の購入や保全費用の高騰について行けず、田圃に見切りを付けざるを得なかったのが事実である萬聖節活動。「自分達が食う米くらいは??」
と頑張った高齢者の田圃には雑草が茂り月夜には猪が運動場に使っていると聞く。
では海はどうだろう??アクアライン(東京湾横断道路)の建設で魚介類の生息環境は変わってしまった。初網(新海苔)の季節??一番海苔が味わえる季節だが新海苔の風味は何処にも無い。昔ながらの手作り製法が消えてしまって、陸の米作りと同様、全てが機械化されたのである。元
来浅草海苔と呼べるのは内房(東京湾内)で採れる海苔に限られた呼称であった。
何がどう変わったのだろう???太陽の恵みがカットされ機械加工に委ねられてしまった結果である。現在、海苔の製法はまるで大型の洗濯機を回転させる様で「全自動」になっている。採取して来た生海苔を攪拌機に入れると後は機械が全てを製成してくれる。厚みの調整から乾燥、裁断、束ね??品質や等級の選別までを機械がやってのけ、一帖ずつにセットされた海苔は帯封が為され箱詰めされて出て来る。
業とする海苔屋の数も減少したが誰もが昔ながらの製法を良しとし、残念だと言うが元に戻る瀬は何処にも見当たらない。高齢者の増加で漁村の従事者も日ごとに減ったようだ親子好去處。
『小田架けのコシヒカリは一味違ったなあ??』
『天日に干した初網は うめえ~ッたのう??』
新海苔が口に入ると磯の香と独特の風味が鼻の奥を突き抜けるように走った。舌先に乗った海苔はあっと言う間に溶けて、喉を通りざま格別の食感が味わえたものである。新海苔の香は当に季節の所産だった。房総地方では「鉄砲」と呼んでいるが、新米の炊き立てご飯にオカカ(鰹節)を載せ、焙った新海苔で巻き上げると、どんなご馳走より贅沢を感じたものであった。
人生の半分以上を房総半島で暮らす私だが、農業や漁業の仲間たちと時折愚痴にも似た昔話をする時がある。お天道様こそ味覚の使者なのだと教えられる秋の訪れである。
稲作を例に取ると、米農家では様々な工夫を凝らし伝統農法を固守してきた歴史がある。嘗て収穫したあとの稲田では「小田架け」と呼ばれる天日干しが行なわれて来た。しかし生産効率を促された農家は手作業だった仕上げを機械化に移行させられご承知のとおり田植え機やコンバインが導入されるようになったのである。
米の売価が下がって採算が取れないと嘆く声が各処から聴こえるようになり廃業を余儀なくされた農家も少なくない。次世代を担う若者たち(倅や孫)は機械の購入や保全費用の高騰について行けず、田圃に見切りを付けざるを得なかったのが事実である萬聖節活動。「自分達が食う米くらいは??」
と頑張った高齢者の田圃には雑草が茂り月夜には猪が運動場に使っていると聞く。
では海はどうだろう??アクアライン(東京湾横断道路)の建設で魚介類の生息環境は変わってしまった。初網(新海苔)の季節??一番海苔が味わえる季節だが新海苔の風味は何処にも無い。昔ながらの手作り製法が消えてしまって、陸の米作りと同様、全てが機械化されたのである。元
来浅草海苔と呼べるのは内房(東京湾内)で採れる海苔に限られた呼称であった。
何がどう変わったのだろう???太陽の恵みがカットされ機械加工に委ねられてしまった結果である。現在、海苔の製法はまるで大型の洗濯機を回転させる様で「全自動」になっている。採取して来た生海苔を攪拌機に入れると後は機械が全てを製成してくれる。厚みの調整から乾燥、裁断、束ね??品質や等級の選別までを機械がやってのけ、一帖ずつにセットされた海苔は帯封が為され箱詰めされて出て来る。
業とする海苔屋の数も減少したが誰もが昔ながらの製法を良しとし、残念だと言うが元に戻る瀬は何処にも見当たらない。高齢者の増加で漁村の従事者も日ごとに減ったようだ親子好去處。
『小田架けのコシヒカリは一味違ったなあ??』
『天日に干した初網は うめえ~ッたのう??』
新海苔が口に入ると磯の香と独特の風味が鼻の奥を突き抜けるように走った。舌先に乗った海苔はあっと言う間に溶けて、喉を通りざま格別の食感が味わえたものである。新海苔の香は当に季節の所産だった。房総地方では「鉄砲」と呼んでいるが、新米の炊き立てご飯にオカカ(鰹節)を載せ、焙った新海苔で巻き上げると、どんなご馳走より贅沢を感じたものであった。
人生の半分以上を房総半島で暮らす私だが、農業や漁業の仲間たちと時折愚痴にも似た昔話をする時がある。お天道様こそ味覚の使者なのだと教えられる秋の訪れである。
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